2004年01月19日
会社で忙しいんだぞ
先日の本社会議上の席でちょっと議論になった。
「A事業所は本当に忙しい。それに比べてB事業所はヒマだ。」と某専務。
一応、B事業所統括支配人、B事業所も忙しいんだとフォローの発言。
このあと、この件でなんだかんだとひと悶着あったのだが...
「A事業所は本当に忙しい。それに比べてB事業所はヒマだ。」と某専務。
一応、B事業所統括支配人、B事業所も忙しいんだとフォローの発言。
このあと、この件でなんだかんだとひと悶着あったのだが...
忙しさって2種類あると思う。
それは、お客様などがお見えになって直接対応しなければならない忙しさと自分でペースを決めることができる場合の忙しさだ。(うちはサービス業なので)
前者は、お客様の数により、また集中すればするほど、込み入れば込み入ったほど忙しくなる。
それに比べて後者は、判断基準がすべてその人個人にある。
客観的に見てその人よりたくさんの仕事量を持っている人から見ると、その人は全然忙しくないように見える。
例えば、1日で100枚のレポートを書く仕事の人がいたとしよう。
休み時間を除いて一生懸命やって時間内にやっと100枚完成するならばその人はそれを忙しいという。
これはわかる。だが、今日は50枚のレボートの仕事だったとしたら?
この人が半日で仕事を終わらせて残りの時間で前向きな仕事をすればいいのだが、実際は自分の能力をスローダウンさせて、50枚のレポートを1日かけてやるようになる。
まぁ仕事も忙しいときとヒマなときがあるからそれもいいのだが、平均して50枚のレポートの仕事が続くとそのペースになれてしまうのがこわい。
そうなると、たまに80枚のレポートになると、「あー忙しい、忙しい。忙しいから他には何もできません」となる。
100枚こなせる能力があるのにもかかわらずね。
自分で自分のペースを決めれる仕事は、精神的に楽な方へ、楽な方へと流れていく。
忙しいと思うとき、それが全力疾走で何メートル走っているのかが問題。
全力で走っているわけじゃないのなら、それは普段より忙しいというだけで、全力疾走している人の忙しさとは比べられるものではない。
でも肉体労働だけでなく、知的労働が入ってくるとこれはもう周りからは判断しようがない。
結局は職種によりおおざっぱな尺度が出来てしまうのかな。
忙しいとは自分でいうものではなく、人に思われるものかもしれないね。
Posted by ネズ at 00:01│Comments(0)
│seikatsu
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