親の七光りという言葉があるが、親とは限らず人には多くの光があたっていると思う。
いわゆる肩書などはその最たるものだ。
弁護士、医者、代議士、などの職業
会長、社長、マネージャー、などの役職
親からもらったものでなく自分で勝ち取ったものであっても
自分を表すレッテルになっている。
広くとらえると、男と女、大人と子供もその部類に入るかもしれない。
かっこよく言えば、人の価値は中身で決まるべきもので、肩書で決まるものではない。
すべてを脱ぎ捨て裸で見比べれば、人間性の良し悪しが 人の良し悪しに感じる。
肩書のない裸の世界で、人に魅力を感じるとするならばね。
しかし当然ながら人の価値は人間性だけではないだろう。
ところで、自分自身のことを考えると、
大した肩書はついていないが、それでもいろいろな評価をされ、風評が立ち、
それなりに肩書や地位がある。
この自分の世界の中で努力することももちろん重要だと思うが、
それのすべてをすてた裸の自分にどれだけ魅力が残るのか、
どれだけの人が寄ってきてくれるのか、
会社をやめたら友達もいなくなったとはたまに聞く話で、
ときどき裸の自分をみつめないといけないなと思ったりする。
でも逆を考えると、自分についている肩書や地位が大きければ大きいほど、
人は近付いてくれなくなる。
たとえ間違っても、だれも注意してくれないしアドバイスしてもくれない
孤独な世界に入ることになる。
自分の周りを包んでいる七光りや肩書、地位やレッテルを
常に意識しているってことは大切かもしれない。
何か言われたときに、
私の肩書や地位が変われば、今の言葉はどんなふうに変化するんだろうか。
私を知っている人が、私の子供に対しても接する時も、なにかしら変わるんだろうか。
常に意識していることが大切って言ったけれど、
自分にはどんなものが付いているのかを認識することのほうがもっと大切かもしれない。
人はそれに対して接してきているかもしれないからね。